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ロスメモ A'S二十七話

お久しぶりになります。

東北大震災以降、心配してくださった方々、生存報告もせずに申し訳ありませんでした。
帰宅難民者の一人となった以外、特に問題なく生活しています。連絡が遅れてしまい、本当にすいませんでした。

今月中盤まで、帰りは最終電車、土日出勤が11月から続いておりまして、執筆が非常に遅くなってしまったことに関してもお詫び申し上げます。

正直、就職後の執筆がこんなに難しいとは思いませんでした。今後更に遅筆になるかもしれませんが、ロスメモは懲りずに書いていこうと思います。

此のような作品ですが、気長にお待ちいただければ幸いです。でww


 カタカタカタカタ

 カタカタカタカタ


 カタ………


 旧式のキーボードで入力した報告書を空間モニターに映し出させる。

「………こんなものか? 昔から報告書苦手だからな………」

 空間モニターに付属されている空間転写型ではなく旧式のキーボードを用いるのは、訓令生時代の鬼教官に嫌がらせでやらされてからの癖だった。

 中々ブラインドタッチが出来なかった自分が、コレならば何故か出来るのだ。相性とでも言うのだろうか………。

 正直、一々こういったアナクロなものを提督室に持ち込まなければいけないのは、微かなコンプレックスだったりする。

「しっかし、あのお子ちゃまが居ないと此の艦も静かだ。忘れてた………」

 半年程前に見つけた検体。

 管理局の技術を遥かに超える何かで作られた不思議な生き物。

 結局分かった事は通常の人間の肉体をベースに同程度の魔力情報を混合させられた魔道技術の産物と言ったところか………。

 此方から判別可能な代物は、通常の肉体と魔力の肉体とが相互に補完し合っていると言うこと。

 言うなればバックアップ。

 例えば、通常魔道技術による回復は『生きている』組織を回復・治療させるものであり、火傷・壊死・切断等の消失からの回復は難しい。

 だが、あの不思議生物は違う。

 傷を負おうと肉体及び魔力の情報共有化により、通常の魔法では損失部位を埋めるために必要な人口筋肉、人工皮膚の必要性を廃している。

 つまり、如何なる傷からも復帰する。

 普通の人間は(魔道士であっても)、神経等の繊細な部分を破壊されれば完全に元通りにする事は難しいし、四肢欠損でもすれば一線から身を引かざるを得ない状況になる。

 ソレが無い。

 神経を破壊されようが、腕や足をもぎ取られようが、実肉体と魔力体が互いに共有した情報を持って最終的には問題なく回復させてしまう事が現時点であの不思議生物で判明している全てだ。

 更に実肉体と魔力体を繋ぎ合わせる役目を持つ人工リンカーコア。


 ………コレを発明した奴は紛れも無い天才だ。

 そう思う。


 特に上は、人工リンカーコアの解明に躍起になっている。

 人口リンカーコアはどんな人間にも誕生の段階で魔道士の心臓とも言うべきリンカーコアを産み出せるものらしい。

 らしいと言うのは結局、解明する事は出来ずあくまでもカイロスと言う同世界から流れ着いた不思議生物のデバイスから判明した情報であるからだ。

 ボードの位置を確認しながら、間違えない様にタイピングしカイロスのデータを表示させる。

 空間モニターの右上に漆黒の大剣が映し出される。

 漆黒の大剣ではあっても、現在天道鉄矢が使用しているカイロス・ノヴァではない。

 カイロスの予備パーツで組みなおされたもう一本のカイロスと言うべき物だ。形状は旧・カイロスと同形であるがデバイスコアは存在しない。

 更にモニターを増やせばもう一本漆黒の大剣が映し出される。

 だが此方は、既に全壊している、此方の世界にやってくる前の戦闘で破壊された代物だ。

 これら二本は、カイロスの予備パーツから組み直された物(正確に言えば破壊された物が本来のカイロスであり、現在のカイロスこそが予備パーツの集合体なのだが)であり、此の予備パーツがなければあの不思議生物がカイロスを持ち続ける事は出来なかったと言って良い。

 この、同一の機体があったからこそ研究対象から外され、カイロス自身の再設計及びミッドの技術を組み入れた幾つかの強化プランを実行する事が出来たのだ。

 そして、三ヶ月の訓練と三ヶ月の実戦。

 これらの実験データが報告書として組み上がったのが漸く昨晩だ。
 
「………しかし、一先ずの実験データを取り終わったばかりの今、態々闇の書事件に関らせるってことは………」

 天道鉄矢を休暇と称して闇の書事件に送り込んだのは、彼――ヴァン・フェリュート――では無い。

 ヴァン自身は此の三ヶ月、訓練と実戦以外に殆どの物事に興味を示さなかったあの不思議生物には本当に休みをくれてやるつもりだったのだが………三日ほど。


「流石に、此の程度のデータじゃあなぁ………」


 天道鉄矢が管理局の管理下に入って早半年。

 戦闘データ,生体データ等多くの情報が既に集まった。

 だが、それは上を納得させるほどのモノでは無かったらしい。

 ソレも当然。

 低すぎる。兎にも角にも魔力が低すぎるのだ。

 個人での最大魔力値100万以下。

 それでは、前線投入可能な魔道士ランク(Cランク)の最低基準を下回ってしまう。

 魔道士ランクとは、そもそも保有資質や魔力量の多寡で決定されるものであり、SSS~Fの11ランクが存在する。

 Fランクとは俗に言う魔力無し。リンカーコアはあるものの魔力を生み出す機能のない者を言い、Eランクは魔力を生み出す事は出来るものの魔法行使は不可能である者を言う。

 そしてDランク、管理局員に登録される魔道士ランクは此処からとなる。

 元々武装局員は隊長でAランク、隊員でBランクであり、それ以下の者は基本的に戦闘に使用される事は無い。(C、Dランク魔道士の多くは救護隊や防災隊に派遣される事が多い)

 例外的に後方ポジションに低ランクの魔道士が着く場合はあるが、それは稀少技能保有者である事が多い。

 Dランク魔道士が、武装隊に入る事は基本的に許されないのだ。もっともそれは、低ランク魔道士の防御出力の低さから危険と判断されるからなのだが………。


 天道鉄矢が、武装隊魔道士として活動できたのはインフィニティコアの起動実験に相応しい状況を模索し、アルハザード製の戦闘兵器の能力を測定する為だ。

 100万以下の乏しい魔力に、変換資質最弱と言われる『空』の魔力資質。『空』の変換資質持ちらしく『召喚』の技能を持つが、ソレも高い物ではない。と言うより次元世界を跨いでの召喚可能なのはカイロスと言う破格のデバイスのお陰だ。

 そして、能力測定は終了した。

 天道鉄矢に魔法の才能は無い。余りにも乏しい。

 だが、ソレとは逆にインフィニティコアの力は強すぎる。


 管理局はその性質上、強大なロストロギアの所持を認めない。

 一応インフィニティコアは、管理局にて封印処理されているが使用者は天道鉄矢一人に限られてしまう。

 それは管理局として認められるものではない。

 

「………コレ以上は無理なのか」

 ピポッ

 不思議生物の最新戦闘記録を呼び出す。

 六日前に立ち寄った際にカイロス・ノヴァから引き抜いたデータだ。

「一応、まともなカタチにはしているみたいだが………」

 モニターに映し出される魔法は、ハイパーノヴァストライク。

 カイロス・ノヴァに新規搭載されたトリニティーシステムをかなり使いこなして居る事を意味する魔法だ。

 正直初めてコレを見たときは魔道士史上に残る名作の一つに数えられる程のモノだと感じた。

 また今見てもその感想は揺るがない。

 此の魔法は素晴らしい。

 だが

「………違う、こうじゃない。これじゃない………」

 そうだ、少しでも考える力があれば分かる筈だ。

 何て間抜け。

 違って当然。

 異なって当たり前。

 そうだ、元々アレのオリジナルはトリニティシステム等もっていなかったのだから………っ。

 どんなに良い物でも、それでは違う………。

 此の闘い方では、アレに辿り着けない………。

「クソ………」

 苛立たしげに、一つの動画を立ち上げる。

 それは、ほんの一瞬だけを切り取った、瞬きほどの時間。

 降頻る雷を断つ男の姿。

 ただソレだけを映す動画。

 幾度も、幾度見直しても、背筋が………凍る。

 口元が引きつる。

 恐怖に、小便を漏らしかける。

 ヴァンにとって、その後のインフィニティコアを用いた戦闘等如何でも良い。

 如何に凄かろうが、所詮はロストロギアの力。

 元の世界で如何だったかのは知らないが、管理局の元では著しい使用制限がついてしまう。常に使えはしない。特に、一人の犯罪者を捉える場合等には………。

「こいつさえ、いれば………。アレがコイツに成ってくれさえすれば」

 ヴァン・フェリュート

 彼は最年少で提督に成った才媛であり、同時に魔道士としてもSランクを取得する快挙を成し遂げている。

 無論、其処に辿り着く道のりは楽なものではなかった。

 彼は、自分が天才である事は知っていたが自分が最強であるとは思ってはいない。

 必要な訓練は全てしてきた。

 良い師と良い戦に恵まれたお陰で彼は、若輩ながらSランクの力を身につけ、同時にその力を持って提督へと駆け上がった。

 訓練は苦しく辛かったが、彼は本当に良い師に巡り合っていた。

 応用以前にまず基礎となる部分を徹底して固めることを優先し、しかも若い身体に無理が掛からないよう、怪我をしないよう精一杯の配慮をしてもらった。

 
 恐らく、才能と環境共に最良の位置にいれたのだと彼は認識している。

 
 だから分かる。

 だからこそ理解できる。

 才能と環境に恵まれた彼だからこそ、此の全く異質な『強さ』を感じ取る事が出来る。

 天道鉄矢に才能が無かったように、この男にも魔道の才はない。


 だが違う。

「………コイツには、勝てない」

 才能では確実に自分の方が上だ。

 此の【雷断ち】も、自分にだって出来る。

 だが、それでも………【強化魔法】だけでは出来ない。

 この【雷断ち】の瞬間、観測された魔力はほぼ無い。傍目には完全な肉の動きのみで雷を切り払っているように見える。

 だが、そんな動きは人間には不可能だ。

 幾ら通常の人間より頑丈に出来ているとは言え、限定条件付とは言えSSランク魔道士の魔法を生身で弾ける筈が無い。

 故に可能性のある使用魔法は【強化魔法】

 しかも、体外に魔力を放出していない事から体内強化のみ。

 如何に、カイロスが超硬度かつ魔力を通さない特性を持つとは言え、通常では考えられない。

「此の謎さえ分かれば………」

 元が同じ素体。

 同じ戦闘能力を発揮できるようになる筈なのだ。

 だが、それはカイロスにさえも分からないらしい。

 コンビを組んだその時には既にこの悪魔めいた強さを持っていたそうだ。 

「成長しなければ、使えるようにならないのか? ………だけど解放剤を使ってもある程度、順当に成長した程度にしかならない。アレじゃあ、【雷断ち】は不可能だ………」

 更に言えば人口リンカーコアに多大な負荷を掛ける割に、魔力出力もあまり上がらない。

 まあ、魔力出力自体は今も昔もそんなに変わらないとカイロスは言っていたが………。

「………となると………経験ってことか?」

 あと、昔のアイツと今のあいつを分けるものはソレぐらいだろう。

 無論、肉体的経験と精神的経験の両面でだ。

「素質はある、ある筈なんだ」

 だが、それが見えない。

 発現するかも分からない。

「くそ、お前、処分されちまうぞ」

 いや、処分されるならそれはソレでもいい。

 良い。筈だ。

 少なくとも、自分の目的に影響は余り無い。

 無理ならばまた探せば良い。何年掛かっても………。

 また一つ、無駄な時間を過ごしたと言うだけだ。

 でも………。

「くそ………。相手は子供だぞ。本気か………」

 無駄な思考。

 無意味な思考。

 情でも移ったか。

 人間であるからには仕方が無い。

 多少情が移った所で、今のままでは使えない駒である事には違いない。

 しかし、今の所将来的にモノに成る可能性のある奴はあいつしか居ない事もまた事実。

 感情を抜きにしても処分されるのはマズイ。

「俺が欲しい能力者は、恐ろしく特殊だからな………」

 だからある程度は弁護もするし、無理もする。

「とは言えあのガキが………」

 静止させた動画に映る男の顔部分をアップにさせる。

 ぶるりと、腕が震えた。

「何を如何すればこう成長するのか………」

 目が普通ではなかった。

 画像は荒い。入手方法が非合法だから仕方が無いとは言え、コレでは詳細な画質は全く期待出来ない。


 目が、普通ではない。


 見えない。

 良くは見えない。

 ぼやけた画像の奥に、微かに紅い眼差しがチラリと透ける程度。

 だが、それだけで。そいつが何を思っているかがわかる。

 そいつが何を考えているかが分かる。

 鮮血の如き深紅の瞳が画面越しに語りかける。


―――オマエヲコロス


 唯その一言を持って、オレを震え上がらせる。

「解放剤使っても、あいつはこうは成らないって言うのに………。まあ、アレは身体データを読み込ませる変身魔法みたいなもんなんだが………。………あれ? 待てよ…」

 ………

 …………………

 …………………………


 カタカタカタカタ


 前回の戦闘データを再度読み込み。

 撮影データ表示。

 編集済みフォルダ解放。

 ファイル名【天道鉄矢戦闘データFILE107】

 戦闘開始から三分後付近を展開。

 真紅の騎士甲冑いや騎士服とでも言うべきバリアジャケットを纏った余りにも幼い少女との一戦が映し出される。

 しばし、無言で戦闘経緯を眺める

 そして

「………………。あんの馬鹿…。」

 頭を抱えてしまう。

 映像には、懐から取り出した物体を弾き飛ばされる鉄矢の姿が映っていた。


―――解放剤を弾き飛ばされてやがる………。


 馬鹿かアイツは。

 自分の身体に特別に作用する薬を弾き飛ばされてそのままにしやがったな。

「ったく仕方が無い。………家のに探しに行かせるか。ん? いや、もう撤収作業終わってるだろうから、アースラの連中のとこに行けば良いか………」

 確かアースラは第97管理外世界の軌道衛星上に在る筈だ。

 面倒だが、取りに行くか。

「管理局若作りNo.1提督にも少し話をしたいしな」


 プシュー


 エアロックが閉まる。


 この日、ヴァンが報告書の見直しと個人的な勤務日誌をつけている際に放った小さな呟きが、今後鉄矢の人生を大きく揺るがす事になるのだが、そのことに気付いた者は居なかった。

 居る筈も無かった。






魔法少女リリカルなのはA's ロストロギアメモリー
  
      第二十七話 魔道士としては………



「がっはぁーー!!」

「ふ、っぅぅーっ!」

 右上段蹴りを掻い潜って放ったが掌底が敵の顎を捉え三日月(顎先の尖った部分)に直撃、存分に脳を揺らすと同時に何処からか飛来した抜き手が肺腑を抉る。


 キュキュッと汗に濡れた床板が摩擦音を奏でた。


「………ッ?!」

「むん!!」

 肋骨を縫って体内を撃たれた衝撃は半端な物ではない。

 一瞬、肺が爆発したかと思った。肺から一気に酸素が噴出させられ、視界が一秒にも満たない合間にブラックアウトさせられる。

 だが敵の脳も盛大にかき乱した。

 此の手応え。普通ならば、失神もしくは昏倒するだろう。少なくとも訓練校程度の魔道士は昏倒した。

 しかし、此の相手は違う。

 確かに顔面に入れたというのに、目から戦意がまるで消えない。それどころか、踏みしめた脚は次なる攻撃の予兆に他ならない。

 ならば空気が無くなり、視力が失せた程度で動きを止めては駄目だ。コンマゼロゼロで体勢を立て直すしかない。

 視界がぼやける。

 ならば耳を、触感を、嗅覚を、残る五感を総動員する。

 踏み込む音、滾る血流の流れ、流れる汗の匂い。

(そ、コォォ!)

 バギィィ!!

 人体が奏でるべきではない音が響いた。

 鉄矢の劈拳がランのテンプルに突き刺さり、同時にランの拳が鉄矢の鼻を減り込ませる。

「ごっ、ぁ!」

「う、ギィ!」


 ォオンッ


 互いの拳撃に二人の軽い体重が浮かび上がり跳ね飛ばされる。


「は、ふぅううう」

 浮かび上がった身体を着地させ呼気を整えた。


「は、あ、鼻が、鼻が圧し折られるかと思ったぜ」
 
「こ、こっちは耳から脳みそがびろんって飛びだっしそうだったぞ………」


 燃えるような熱さを持った鼻を抑えながら言った呟きに、意外にもランは言葉を返した。


「OK。大体分かってきた」

「何がだよ?」

「お前の近接戦闘技術の高さがだよ」

 ピッと指を向けられる。既に息を整えつつあるのか、ランの声に途切れや乱れは既に無い。

 鉄矢は、肺を強打された影響から完全に抜き出しては居ない。今、攻めかかられればもしかしたらそのまま落とされるかもしれない。

「反射速度が馬鹿高いな。こっちの攻撃は巧く流すし、そっちの攻撃は骨まで響く」

「そうかよ………」

 褒められても嬉しくともなんとも無い。

 骨に響く程度が何だ。こっちは腹の上で手榴弾が爆発したかと思ったんだぞ。

「正直、生身でやりやってたらもうやられてる。強化魔法で軽減してなきゃな」

「………」

「でも………そこまで、だ!!」

 膨れ上がる魔力。

 爆発する力。

 脚部に集結した魔力が、滑らかに肉体の動きと連動し―――爆ぜた。

「ッッツ!!!」

 真っ直ぐに突っ込んでくる。

 余分な動きは一切無い。

 弾ける火花のような踏み込みからの拳撃。

 脳内麻薬の過剰流出に吐き気を催す。

 烈風が耳を焦がす、髪を燃やす。

 鉄矢には望むべくも無い馬鹿みたいな魔力出力。

 全身強化からの単純な魔力パンチ。

 余りにもシンプル。

 しかし直撃すれば、鉄矢の貧相な魔力防御など一切合切を無視して肉と骨を微塵に砕く。


「んに!!」


 ギリギリの回避反応。弾丸じみた貫手(………貫手!?)が頬肉に擦過傷寸前の烈風を与える距離で逆に踏み込んだ。

 下段から掬い上げるような肘鉄。凄まじい突進だったが、今度はソレが仇となる。

 直進スピード+カウンター分で疾駆する肘を見極められる筈が……!

「憤怒りゃあ!!」

 ガオォン!!

 馬鹿みたいに巨大な生き物の咆哮。

 鉄矢の肘とランの膝が軋みながら咆えた。

 なんという反応速度。

 神速の貫手にカウンターを合わせた鉄矢の肘を踏み込みの足とは逆の膝で切って捨てる。

 スピードと体重の乗った一撃は拮抗することなく鉄矢を壁に叩きつけた。


 かふっ


 と意図せず鉄矢の咽喉が鳴った。

 だが、コレでもまだ軽症である。

 仮に身体の迎撃動作に魔力運用が重なっていたならば、鉄矢の右腕は肘から泣き別れしていただろう。

「まだ、行くぞ!!」

 わざわざ声を掛けてくれる親切。

 だが、手加減は無い。

 バズーカ砲の様な上段回し蹴りによる追撃は、鉄矢の痺れる肘とは逆にダメージが殆ど無い事を物語っている。

 このままでは殺されるかもしれない。

 鉄矢はその可能性に苦笑を浮かべかけるが、ソレを意識して押さえ込む。

 表情筋を動かす位ならば別の筋肉を動かすべきだ。

 静止の声は掛けない。『もう止めよう。参った』その『もう』位で多分、顔面が粉砕される。


 回避動作


 父との組み手を行ってきた経験が鉄矢を自然に前へ踏み込ませる。

 コレが格闘技ならば、鉄矢は相手の蹴りを腿で打たせ、肩で受け、導き出される崩拳が紛い様も無い一本を告げるだろう。

 しかし、コレは格闘技の試合ではない。

 魔道士による模擬戦だ。

 魔力出力に純然とした差がある以上、格闘技のセオリーは当てはまらない。

 恐らく、最小限に威力を殺したとしても運が良くて骨折。悪ければ複雑骨折。

 鉄矢の脳裏にコレまで相対してきた魔道士との戦闘経験が蘇る。

 此の魔力出力、恐らくは鉄矢の知る限り最大級のパワーを誇るなのはやフェイトに匹敵するだろう。

 最初の取り決めで、使用魔法は身体強化のみと決めていた。

 元々格段に魔力資質に差がある事は簡単に見て取れる。

 ランの魔力は平常時つまり余剰魔力の垂れ流し状態で鉄矢の十倍近い。

 空間魔法ならば、鉄矢の方が確実に優れているが、此の狭い戦闘エリアでは転移系の魔法を使った瞬間に叩き潰される。ソレほどまでの反応速度を持った相手だった。

 鉄矢に人よりも優れているものがあるとするならば、それは身体能力及び身体操作能力位だろう。

 だが、此の相手は恐らくその部分で鉄矢と同等かそれ以上、しかも魔力による強化なしで。

 先程ランは強化魔法がなければとっくにやられていたと呟いたが、それはあくまでも鉄矢が強化魔法を使用しての状態。

 同じく魔法を使わない状況ならきっと膠着状態に陥っている。

 でも

「はぁっぁああああああああ!」

 大気を踏み砕くような上段回し蹴り、パワー差から防御は無し。身に着けた借り物の胴着に掠らせるほどにギリギリで体を捌く。

 突き出した肩口、その場で背を向けるように身体を一回転させる。それも相手が蹴り終るその瞬間を縫って。

「すぅ………!!」


 靠撃!!


 全体重を乗せた言うなれば中国拳法のタックル。


「んむぅ!!」

 ソレを蹴りとは逆の脚での顔面蹴りで迎撃するラン。

(………二段蹴り)

 靠撃の為に背後を振り返った瞬間に準備していたのか、それとも予め此方の動きを予知していたのか…どちらにしろこのままでは顔面が陥没する。
 
「おっらぁぁ!!」

 靠撃から急速で身体を前方に倒しこむことで強引に顔面蹴りを回避。

 両足を蹴りに使った以上地面に落着するまでは無防備、靠撃に使った推進力を拳に乗せる変則の裏拳。

「はっ!」

 それに、反応…!?

 中空で腕を取り、衝撃を逃がし、体勢を反撃へと整えられた。

 駄目だ。攻撃に全体重を乗せている。反撃回避可能な状態に体勢を整えるのに瞬きほどの時間を要す。

 その瞬きの合間に攻撃を受けたら………ソレで終わる。

「コォォォォ!!」

 叫ぶ間はない。

 何も出来ないならば、此の拳をさらに押し込むだけ。

「うおぉっと!?」

 ブンッ。

 拳が大気を裂いた。

 ランは掴んだ拳が更に押し込まれようとする動きに合わせて離脱している。

 トントンと軽い音を立てて着地。

 追撃は………無意味。

 体勢の崩れ、ダメージ、呼吸の乱れ、全て無し。

 

「………パワーが上がったな」

「???」

「自分じゃ分からないものなのか? まあ良いけどさ。それで限界な訳が無い」

 一体何を言っているのかさっぱり分からないが、フムフムと一人納得するラン。

「??????」

『………ふむ』

「ん、カイロス気が付いたのか?」

 模擬戦前まで『チュー、チュー』言いながらバクっていたのだが。

 ちなみに格闘技の模擬戦なので指輪は引っ込めて腕輪のみの状態である。

『大概失礼ですね。ちょっとショッキングな映像に自分を見失っていただけです』

「ああ、そーですか」

 と其処で、ランに向き直り続きを始めるべく構えるが、ランはちょっと待ってろとでも言うように手を振って、道場の隅っこの扉を開けて中に入ってしまった。

 何となくタイミングを外された感じ。

 溜息を付いて、床に尻を付ける。

 火照った肌に床の冷たさが心地良い。

『ま、ソレは兎も角、何故模擬戦を?』

「え、その場のノリと勢い?」

『自らの直感に従って生きるのも良いですが、相手は見てください』

 見てるって、此の相手だから模擬戦を受けたのだ。

『僅かしか見ていませんが、此の魔力は恐らく魔道士というカテゴリー内でトップクラスに入ります。』

 分かってるって。

『それだけならば、これまで貴方が対峙して来た奴等もそのカテゴリーに入るのですが、ところでやり合って何か感じませんでしたか?』

「ん? そりゃ、モノすげーやり難い。マジこっちの攻撃当たらないし、当たる場合はこっちも攻撃貰っちまう。しかも、魔力差デカイから、あっちはピンピンこっちはワンパンチでノックダウンっぽいんですけど?」

『そこです』

「どこ?」

『攻撃が当たらないという当たりです』

「え、しゃrヘブン?!」

 メキャ! 制御を乗っ取られた右腕が顔面を殴打。

『一つ聞きますが、今まで殴り合いでパンチを当てられなかった相手は誰ですか?』

「ぐ、っそ、お前そろそろそろそろ本気でいい加減にしろよ? 俺も怒るよ? ん、怒るよ?」

『良いから質問に応えなさい!』

「はい」

 デバイスに怒鳴られて背筋を伸ばすマスター。

 く、ちょっと泣けるかもしれない。

「ま、まあソレこそ良いや。んで、今まで一発もパンチが当たった事の無い相手だっけ? そりゃあ、親父位しか思い当たらないけど………」

『ですね、では其処で質問です。今までは、彼女ほどの超魔力の持ち主にボコボコにされる事はあっても、パンチが当たらないという現象はありませんでした。ソレは何故でしょう?』

「んん? そりゃ、なのはなんかは格闘技のかの字も習ってないような素人だし、フェイトにしても護身用レベルの体術だろ? パンチを当てるぐらいなら」

『ではヴォルケンの連中は? 特に剣の騎士は魔力無しの状態でもかなりのレベルの体術を行えそうに思えました。ですが、パンチが当たらないという事は無かったですよね?』

「………ふむ。そう言われれば確かに、じゃあアレか? アイツの格闘技のレベルが高すぎるからパンチが当てられないってこと?」

 いや、まあ決して低いとは言わない。決して低くは無い。

 でも、そう純粋な格闘技としてみるなら自分と其処まで大きな差があるようには感じないのだ。

『いいえ違います。それはコレまで、貴方がどんな相手ともある程度渡り合えた理由にも直結します』

「つまり?」

『つまり、反射神経や反応速度。思ってから、行動に移す速度がコレまでの相手とはダンチなのです』

「えっと、どう言う事?」

『彼女は、貴方のパンチやキックを見てから回避出来ると言う訳です』

「そりゃ、みたらかわせるだろ?」

『其処が大きな勘違いです。普通、分かっていてもかわせない、避けられない、ソレが普通なのです。そうですね、野球で言えば球種は分かっていても身体が付いてこないとか、そんな感じです』

「そんな感じとか言われても、野球やったこと無いし。それに、俺だって分かっててもかわせない事とか有るぞ」

『それが、貴方の運動速度の限界です。見て分かって動き出すまでは、抜群に疾いですが、動きそのものは強化魔法による運動能力の向上および空間転移しか有りませんから。仮にフェイト・テスタロッサに貴方の眼と反射速度があるならば、自分よりも遅い相手の攻撃はまず当たらない』

「んん? つまりランは」

『はい、トップクラスの魔力量+貴方レベルの神経系を保有している事になります。勝ち目はありませんよ?』

「って、言われてもな」

 勝ち目が無い。

 勝ち目が無い。

 そんな事は、とっくに分かり切っている。

 でも、そんな理性とは裏腹に身体が咆えるのだ。

 身体が欲しているんだ。

 アレが、アレこそが俺の終生のライバルだと訴えかけているんだ。

「よっとぉ、お待たせ」

「ん? ああ、丁度いい骨休めになったけど、どした?」

「ああ、次は武器ありでやらないか? 勿論木製だけどな」

 そういって、竹で編まれた籠のような物に幾つも幾つも突き刺さる大小形状がことなる模擬武器の数々を見せるラン。

 口元は、楽しげに艶でおり、続きを、更なる先を期待している。

「一番得意な武器は?」

「槍」

「んじゃコレかな、私は長剣だからコレ」

 ヒョイッと鉄矢の身長ほどの長さの棍を投げ渡してくる。

 ズシッとした重さ。

 間違いなく鉄心が組み込まれている。恐らく向こうもそうだろう。

「んじゃ、第二ラウンドだ」

「………」

 苦笑を浮かべる。

 勝ち目が無い。

 コレまでどうしようもないほどに強い奴等と戦ってきたが、コレほどまでに勝ちの目の無い戦いは有っただろうか。

 相性の問題だろう。

 魔力は有っても強化魔法しか使わないランよりも強い相手とでも此処まで勝ち目が無いと感じた事は無かった。

 だけど、こんなにも心踊る相手なんて居ない。

 ハッキリと言おう。

 鉄矢はラン・ランスロットとの模擬戦が早くも好きになりつつあった。

 鉄矢は初めて、魔力を持った相手との闘いがこんなにも楽しいのかと思いつつあった。

 鉄矢は、竜達と繰り広げた修練の成果が身体から滲み出しつつあるのを感じていた。


「いっくぞぅ!!」

「来やがれ!!!


 ガギィンッと魔力強化された武具が大気を切り裂く。

 二人は、心の其処から楽しそうに笑った。


『やれやれ』




*****************************


「う~ん。そっか、やっぱり動きが速くなっても『振り』が遅くなってたんだ」

 ふむふむと一人頷く。

『sir。やはり、未だ純粋な腕力面で成長しきっていない感が強いと思われます』

「うーん、大きな魔力刃はやっぱり重いし」

『以前マイスターが仰っていた様に、巨大な魔力刃はもっと成長しきってからの手段になるのでは?』

「でも、前みたいにアルフと二人って前提ならファランクスでも良いけど、これからコンビやチームを組んだりしていくならフルドライブは必要だよ」

『しかし実際問題、現状ザンバーフォームを対個人で使用するには無理があります。魔力出力の増加による加速性能の向上も攻撃速度が低下してしまっては意味が無いかと』

「う、う~ん」

『もしくは多少攻撃速度が遅くなっても当てられる様な技量を手に入れるとか』

 今から腕力を鍛えても一朝一夕ではどうにも出来ないでしょうしと続けるバルディッシュに、フェイトは困り顔で返答した。

「でも技量だって一朝一夕には難しいよ?」

『いえ、天道鉄矢にコツを聞いてみる等は如何でしょうか?』

「て、鉄矢に?!」

『? 何か不思議な事でしょうか? 同じ大剣型の使い手、カイロスから此方も運用データを頂きたいところですし』

「そ、そ、ソレは良い考えかもしれないけど今はその話はまずいって言うか、えっとその、そう! 今何処にいるか分からないし!!」

『? ですからヴォルケンを全滅させ、闇の書の主を救うためムガムガ』

 バシィッ

 これ以上何も喋らせねぇとばかりにKYデバイスの音声発信を魔力で覆う。

 そしてちらりと目線をツイッと下に向ける。

 二つのおさげが心なし何時もより垂れ下がっているように見える高町なのはの頭が視界に入る。

(え、えっと、えっと。こ、此の場合、鉄矢の話はマズイよね。な、なるべく鉄矢の話をしないようにしてたのにバルディッシュはもう………)

 最近以前よりも話してくれる機会の増えた愛機は、どうも空気が読めないというか、自分の言いたい事をズバッと言うと言うか、何と言うか、兎に角KYだった。

 深く物事を考えてはいても、人の心の機微には疎い非常に困ったちゃんなデバイスである。

 此の辺り、カイロスならばもう少し考えて発言するのだ………が?

(あ、でもカイロスは分かってて色々言う子だし)

 ってそうじゃないのだ。

「え、っとなのはは、どう、思うかな?」

 余りにもつっかえつっかえな言い方に心中で凹んでしまう。

 ここ数日、ずっと元気が無かったなのは。

 ずっと悩み続けているなのは。

 その悩みの答えは自分で導き出すしかないと分かってはいても、事情を知り傍にいる以上、如何にかして元気を出して欲しいと願ってしまう。

 それが余計なお世話かもしれないと、悩まない訳でもないためどうしても余り強く前に出れない。

 悩んで答えを出そうとしているのを邪魔してしまうのではと考えてしまうのだ。

「…あ、あ、えっと、ごめん。何て?」

「え、えぇっと、そのフルドライブの時のザンバーの魔力刃が重いから攻撃が当たりにくいって言うか、そのえっと」

 違う、そうじゃない。

 そうじゃない。

「ああ、うんそうだね。えっと、フェイトちゃんのフルドライブだよね。ザンバーフォーム」

「うん。なのはのエクセリオンとはだいぶ勝手が違って………」

 違うだから違う。

 えっと、うんと。

「私のエクセリオンは、全体的な魔力が限界を超えて底上げされるらしいんだけど、フェイトちゃんのザンバーは攻撃力に特化するんだよね?」

「う、うん、性能の大半が攻撃向けにチューンされてる。無詠唱の結界破壊とか斬撃・砲撃も出来るし、範囲や距離の応用性能も高くて、集団戦でも能力を発揮できるように設計されてて………」

「でも、攻撃力に重点を置きすぎて攻撃速度が下がっちゃってるって事?」

「うん。そうなんだけど、いやそうじゃないって言うか、あのその………」

 あーーーーーー。

 うーーーーーー。

(も、もっと何を話すか決めて来れば良かった)

 なのはが、学校に残っているのは分かっていた。

 なのはが、ずっと悩んでいるのかも分かっていた。

 しかし、なのはが何に悩んでるかを正確に理解しているのは、自分も含めて数人しかいない。

 そして、今なのはのすぐ傍にいるのは、自分しかいない。

 勿論、自分だから何か出来る、何か言えるとは思わない。

 でももう限界だ。

 なのはも、何よりも自分が。

 そう、今日は、我慢出来ずに此処に来ている。

 もう我慢できないと思ったからこそ此処に居る。

 それなのに、此の有様は余りにも情けないのではないだろうか………。

「じゃあ、模擬戦でもしようか? やっぱり使ってみないと上手な使い方は………」

「な、なのは!」

「え? な、なに?」

 突然の大きな声に目を瞬かせるなのは。

「お、お、お!」

「はい?」

「お茶でも飲まない!」

 兎も角、空気を変えるべく逃げに走ったフェイトだった。



*****************************


「があああああああああああああああ!!」

「でえええりゃああああああああああ!!」

 バギンン

 ゴギャァン

 メキメキメキメキ

 ボギッィン

 ズゥン!!

「ぼげえええええ?!」

「ほげえええええ?!」
 
 
 砕け散った木片が舞い散った瞬間に放たれた必殺の肘と膝が互いの鳩尾を抉る。

 寧ろ互いにフェイントを仕掛けなかった事が、逆に互いにとってのフェイントとなって防御を超えた一撃が無防備な腹に決まったのだった。
 
 マジに必殺をきした一撃は、人間どころか硬い竜鱗(ドラゴンスケイル)に覆われた竜種の内臓を破裂させかねない物であり、ミシリと言った微かな硬直の後に互いの身体は弾け飛び天井に突撃し、屋根を砕き、床に墜落しては床を砕く。

 既にバリアフィールドに包まれていた筈の道場は、見る影も無くなっていた。

 壁は穴と言う穴に覆われ、床には数十の、屋根にも数十の大穴(人間が突撃したようなサイズというか突撃した)が開き、其処彼処に模擬剣、模擬槍、模擬斧、大小様々な鉄心入りの模造武具が『無限の●製』の如き勢いで突き立ちまくっている。無論その大半が既に使用不能である事は言うまでもない。


「ご、ぅ、っはがぁ!」

 ペッと血塊を容赦なく神聖な道場に唾を吐くように吐き捨てる。

 ペロリと口端を滑る血を舐めとった。

「は、ははは………」

 吊り上る。

 笑みの形に口元が吊り上る。

「良い! 最高だ、お前………!」

「う、ぐ、っぅぅ」

 ヘラヘラと笑うランの対角の位置から鉄矢は身体の上に散らばる道場の残骸を払い落としながら立ち上がった。

「けほっ、けほっ…な、なんであんなに元気なんだよアイツ」

『信じ難い程のタフさですね。まるで、普段の貴方の様です』

「おれ、みたい? 俺の防御はペライぞ………?」

『タフさとは、防御力では有りません。貴方にも分かるように言うならHP(ヒットポイント)です』

「HP?」

『簡単に言うと、肉体が強いという意味ですよ。』

「身体を鍛えてるって?」

『貴方もそうですが、貴方達は通常では有り得ないレベルのタフさを保有しています』

「意味が、分からん。…ん、そうか、ハイブリッドタイプ………」

『そうです。魔力と肉体の混合型である貴方達は、互いが互いを補完し合うことで非常に高い戦闘継続能力を誇ります』

「じゃあ、如何してアイツは? まさかアイツも?」

『ソレは有りません』

「なら」

『貴方達の魔力構造ラインは何処にあるか覚えていますか?』

「血管、つまり血液………だろ?」

『はい。其処に、魔力を通す事で常人よりも耐久性に優れた強化魔法を使用する事が出来ます。これが、貴方達のタフさの秘密の一つです』

「だ、だけどさ、訓練校で習った強化魔法は、あくまでも筋肉とか骨とか神経とかの強化だろ? 血液からの強化魔法なんて使えるのか?」

『普通ならばありえません。何故なら、全身を流動する血液に魔法を掛ける事は困難ですし、様々な混合物の塊であり、人間の生命線である血に魔法を掛けると言う行為そのものが本来不可能に近い技法なのです』

「血に、魔力をかける事が困難? 血を、魔力で変質させたりすると生命活動に異常をきたすからか?」

『はい。ですが、その内一つだけ例外があります。非常に珍しい固体です。変換資質を生み出し易いアルハザードの民にも生まれる確立は0.0001%以下と言われる代物ですよ』

「血液、液………つまり水か!?」

『そう、彼女は間違いなく全魔力変換資質中最高のレア度を誇る『水』の持ち主です』

「自分の血液から強化魔法を掛ける事で、俺達と同等のタフさを手にいれたってっか嗚呼嗚呼嗚呼!!」

 ガッギンッ!!

「何時までくっちゃべってんだよ!! 続きだ! 早く続きをやろう!!」

 手刀による唐竹割を同じく手刀による斬り払いでしのぐ。

「覇ぁ!!」

「応っ!!」

 ガギンガギンッ!!

 ギギギギィィッ!!

 手刀による鍔迫り合い。

 高鳴る金属音。

 血液の魔力強化。

 血液の大半を占める赤血球はヘモグロビンを含む。

 ヘモグロビン、つまり『鉄』を含むタンパク質!

「はっはぁぁ! 楽しい! 楽しいなぁ!」

「この戦闘狂がぁ!」

 迫る拳撃を捌き、弾き、応答する。

「はっっっははぁぁー!!」

 楽しそうに、実に楽しそうに笑う。

「くそ、この、戦闘馬鹿!」

 超高速の拳突きを腕を添え当て同速で捻りを加え、化勁で逸らす。

 攻撃の軌道を逸らされ、頬を揺らして過ぎ去っていく拳。

 素晴らしい。

 体重の乗り、足運び、酷く実戦的だ。

 鉄矢の知る武術ではムエタイに近いように思われる。

 肘とか膝とかガンガン入れてくる辺り。まあ、首相撲はしないし、手刀やら何だり入ってくるのでそのものではないのだが………。

 考えながら、体は自動的に化勁から半歩崩拳へと移行されている。

 パァァンと言う空気の破裂する音。見ずとも分かる。

 掌で………防がれた。

 何と言う反応速度。

 恐らく、反応速度は鉄矢の上を行く。

 だが

「く、っははははは! これだ! 此のお前とヤリたかったぁ!!」

「おおおおおお!!」

 足元の木刀(らしきもの)を蹴り上げ、空中で掴み取り勢いそのままに下段から跳ね上がるような右切上。

 斬撃が、疾過ぎる。

 深紅の左眼、漆黒の右眼

 両の目が辛うじて影を追う。

 白刃取りは………不可能。

 ぶるんッ!

 防御と回避共に不可能と判断した瞬間、震脚を持って得た頸力を解放。

 円錐交叉法

 相手の力を削ぐべく踏み込み、腕を押さえ相手の脛を砕くような一撃。

 しかし、それでもなお腰から入った斬撃が腰骨を砕く。

 ミシッ

「ッッ!!」

 その寸前に鑚拳が顎を打ち抜いた。


 ゴバァンッ!!

 ザグン!!


「ッッッ?!」

「あぎぎぃ!」

 
 や、やはり、ある程度以上に実力は拮抗している。

 相手の力は変わらない。

 なのに

「き、効っくぅ」

「………………」

 変わらず楽しげな笑みを浮かべるランに対して、鉄矢もまた変わらずに苦笑を浮かべる。

 理由は不明

 しかし、今の自分の力は相手に切迫しつつある。

 そして、一つ分かった事がある。

(間合いが、違う)

 間合い

 相手自分、対戦相手との距離 

 突き詰めれば自分の突きや蹴りが最大限に威力を発揮する距離だ。

 だが、実戦では相手と自分が動き回り最適な距離を形成する事は難しい。

 そのため、踏み込みや体捌きで微妙にその距離を変えるのだが………。

(俺とアイツとじゃ、最大威力を出す位置が微妙に違う)

 鉄矢は当然の事ながら自分と相手の肉体から最大威力を出す位置を割り出す。

 しかし、ランは違う。

 ラン達、つまり魔力を使う者は魔力によって身体を保護している。

 つまり、ランの拳撃、斬撃、蹴撃は全てバリア点で最大威力を発揮できるような間合いなのだ。

 此の微妙な差異に今まで自分を見てきた誰もが、気付かなかった。

 鉄矢自身、此処まで互角の戦いをする相手と巡り合って初めて気付けた差異だ。

 だからこそ、その微妙な距離差で闘いかつ近接戦闘での技量が切迫している自分とランでは決着に時間が掛かるし、相打ちが多いのだ。

 きっと、ソレほどまでに微妙な差異、そしてランは気付いていない。

 それは同時にある事を意味する。

(純粋な武術に関して、此の世界は…いや、魔法を扱う世界では発達が遅れている。もしくは、魔力を使う事が前提の闘技が発達していったのか………)

 例をとればストライクアーツ、ミッドチルダで最も競技人口の多い格闘技。広義では「打撃による徒手格闘技術」の総称。

 だが、アレは強化魔法によって肉体を強化したものが扱う格闘技だ。というか正直アレは格闘技じゃねー。格闘戦技だ。

(でも、嫌だ。あんなのは使いたくない)

 肌に合わない。

 使いたくない。

 てゆーか嫌だ。

(俺は、親父に習った武術を使いたい。地球の武術で闘いたい)

 つまり戦法は変えたくない。

 よって取るべき手法は一つ。

 魔力を用いる事を前提とした格闘技ではなく、地球の武術を魔力によって強化された領域で用いる。

 しかも、対魔道士様に微調整したカタチで、俺は俺自身の新たな武術を開発するしかない。

 その方法は?

(ある。出来る筈だ。俺はそうやって生き延びたんだ)

 あの百竜との闘いを………。

 そして、魔力によって身体を覆われた魔道士、騎士達により効果的なダメージを与える手段は………。


*****************************


「ほぅ」

「ふぅ」

 肌寒い空気とは裏腹にしっかりと熱を残したミルクティが喉、食道、胃へと流れ込み、ほんのりと身体の中から暖めてくれる。

「…………うん」

 少し、落ち着いた。

 バクバクと高鳴っていた心音はゆったりとした静かなリズムを刻みつつある。

 大丈夫大丈夫。

 す、少し位言い辛い事でも、それでも、話したい。話し合いたいと思う。

 だから………やるのだ。

 言うのだ。

 話さなければ、言葉を交わさなければ何も伝わらないと教えてくれたのは、なのはなのだから!

「あ、あの!」

「ありがとうね、フェイトちゃん………」

 微かに緊張に震えた声に、酷く落ち着いた声が被さった。

「………」

 声量はフェイトの方が大きかった筈だが、細波一つ無い声に飲み込まれてしまった。

 ちょっと、舌を噛んだ事は内緒です。
 
「その、気を使ってくれたんだよね? あの、最近ちょっと、アレだから………」

「き、気を使った訳じゃないよ。えと、ただ、私がなのはと話したくて、さっきから、もしかしたら迷惑だったっかもって言うか、一人にして欲しかったんじゃないかって思うと、その中々上手く話せなくて、ごめんね?」

 早口で言い切り、最後に思わず謝ってしまった。

 なのはは決して強く言っている訳でも、暗く沈んでいる訳でもない。

 ただ、普通にありがとうと言っただけだ。

 でも、だからこそ、謝ってしまう。言葉通り、自分は自分の我侭で此処に居るのだから。

「それでも、ありがとう。ほんと言うとね、その、一人で一杯悩むのって、凄く疲れるんだよね。だから、さっきまでより、今は少し楽………」

 少しだけ顔を傾けて、強さの無い弱々しい笑みでそんなことを言う。

 楽と、そう言ったがフェイトにはそのように緩んだ空気は感じられない。

 ただ、張り詰めていた何かが、別の張り方になった。

 感じられる印象を言葉にするならばそのような感じだ。

 だからか、惑っていた言葉はすんなりと毀れた。

「………鉄矢の事………だよね?」

「………うん。そうだね。そう、思う」

「………」

 とっさに言葉はでない。

 言えなかった訳ではない。上手く纏められなかったのだ。

 ソレは無論、自分の言葉に自信を持てないで居るようななのはの言葉の所為でも有った。

「分かってる。分かってはいるつもりなんだ」

「なにが?」

「緋焔ちゃんのこと………」

 それか、とフェイトは思った。

 もっと言うならば、ソレの何処に悩んでいるのだろうと思った。

「鉄ちゃんが怒るのは当然だと思う。怒れるような人で良かったと思う………」

「でも………」

「うん、やっぱり、鉄ちゃんが。ヴィータちゃん達を、その、殺そうとするのは、止めなくちゃいけないと思う」

「うん、それは…私もそうなった方が良いと思うよ」

 なのはには共感できる。

 勿論自分だって鉄矢に誰かを殺して欲しいだなんて思わない。

 そんな事は絶対にやめて欲しいと思う。

 でも………。

「………でも、私知らないから」

「え?」

「私、家族が居なくなるのって、殺されるって事知らないから………。だから…」

 だから、止めろとそう言えるのだろうか。

「………それが悩んでること?」

「……と言うより、最近まで何が迷ってたのかも分からなかったりして」

 えへへ

「……………う、う~ん?」

 それは、考えすぎと言う奴ではないだろうか………。

 良し。

 まずはあの時の会話を思いだしてみよう。えっと、あの時鉄矢は…。


『じゃあ、如何すれば良い?! 如何すれば俺は緋焔の怒りと悲しみと絶望を癒してやれる?! 敵討ち以外に何があるんだ?! それ以外の何が『この世で最も大切な者を奪われたイタミ』を癒す事が出来るんだ?!』


 そう言っていた。

 だから、なのははそう思ったのか………。

 もしかしたら鉄矢の言葉にこうも思ったのかもしれない。

『家族の死を見てきた自分には分かる。この世で最も大切な者奪われたイタミを癒す方法など無い』………と。

 きっと、それは事実だ。

 無い。

 同じく失った者として分かる。

『この世で最も大切な者を奪われたイタミ』を癒す方法なんてものはこの世には無い。

 今でも疼く。

 如何と言う事の無い風を受けたとき。

 暖かな布団に包まれる瞬間。

 楽しげな会話の中で起こる一瞬の停滞。

 そのいずれかにも、フェイトの胸は鈍く痛んだ。


 だから、あるとすれば、ただ時間。

 時間だけが、そのイタミから感覚を遠ざけてくれる。

 だけど、それは傷が癒えると言う事ではない。

 『この世で最も大切な者を奪われたイタミ』

 それは死の痛みだ。

 
 大切な者を失ったイタミとはそう単純なものではない。


 好きだという気持ち。

 護りたいという気持ち。

 一緒にいたいという気持ち。

 そういう気持ちが、死んでしまう。

 
 自分の心の中にあった自分の中を大きく占めていた物が粉微塵になってしまう。


 きっと、言葉にするならそんな言葉。

 ただ時間がたてば、自分の心がまた、大きくなってくる。

 欠落し、損壊した心は以前とは異なる成長を遂げる。

 少しずつ、少しずつ。



 でも戻らない。

 きっと元には戻らない。

 イタミはきっといつまでも続くのだろう。


 コレからどうなって行くのか。

 それは分からない。

 本当に分からない。


 ただ、今日まで、半年もの時間が経過した中で掴んだものはそれだけだった。

 思い返せば胸は痛い。

 だが、当時に比べれば痛みは鈍い。

 無論鈍いだけで、きっと衝撃は同じだろう。

 だからきっと、無いんだ。癒える事は無いんだと思う。

 そう言う鉄矢はきっと正しいんだろう。

 でも

 それはきっと、仇討ちをしても何も変わらない。

 それはきっと、何をしてもかわらない。


「………フェイトちゃん?」

「あ、ご、ごめん」

 考えに浸りすぎてしまった。

「う、ううん。その、無神経なこと言っちゃって、ごめん!」

「え? ううん! そういう事じゃないの?!」

 ペコペコと交互に頭を下げる二人。

 そして至近距離でそんな事をすればゴチン!

「あぅ!?」

「はにゃ?!」

 お互いの頭に頭突きをかます羽目になってしまった。


*****************************

 がぶちゅ

 どぶちゅ

 がぐちゅ

 どぼぐ

 ぶつ

 がきょ


「っぱああ! あああー、ふぅああああ!!」

「か、かか、くひぃう! こ、ここ」

 既に余力は無い。

 技巧も力も全て出し尽くした。

 鉄矢は、折れ曲がり、砕け、所々に血の滴る手甲を死ぬ思いで振り上げ、叩きつける。


 がぐちゅ


「ご、あ」


 避ける事もままならないランはまともに胸に一撃を叩き込まれる。

 ミシミシと、此の状況において尚も力強い拳が、骨を軋ませた。

「あ、ぎ、があああああああああああ!!」

 前蹴り

 ただの、前蹴り。

 瞬きのような速度は無い。

 フェイントも、なにも。

 しかし、鉄矢にも避ける力は残っていない。

 硬い腹筋、しかし力の篭らないそれは弾力の有る極上の肉の感触。

 ややカウンター気味の一撃は、脚甲に備わった魔力解放機構が炸裂し

「げぼああ!!」

 衝撃に変換された残り滓のような魔力が鉄矢の身体を木の葉のように吹き飛ばした。
 
 蒼穹に吸い込まれるように、直線軌道で弾け飛ぶ。

 ランもまたバリアジャケット、騎士甲冑を身に着けていた。如何なる因縁か、四肢の防御に特化した二人のジャケットは非常に似通っている。

「お、あああああ!!」

 此処で、決着をつける。ランは歯を喰いしばり、必死の思いで意識を保ちながら本能で思った。

 このままでは、もう本当に持たない。

 体力も魔力も既に限界を超えていた。

 バギンッ

 脚甲が割れ、砕けた。

 遂に訪れたバリアジャケットの展開限界である。

 何時、展開したのか、自分でも良く覚えても居ない。

 ただ、全力で戦っていたら何時の間にかこうなっていた。


 豪ッ!


 脚力と共に解放した薄い藍色の魔力が尾を引く。


 ドウンっとビルの四、五階ほどの高さまで蹴り上げられ落下した鉄矢に向けて、重力を味方につけた一撃で止めを刺そうと跳躍した。


 膝落としと言うかニードロップ。と言うよりもランニング・ニードロップ。

 受身も取れずに落下した鉄矢に向かって、落下の衝撃が覚めやらぬその間隙を抜いて稲妻のような一撃が突き刺さった。


 メ、キィイ

  
 内臓が悲鳴を上げる。

 限界を訴える。


 双方、共に


「あが、あああ、お、まえ、其処で肘を、入れるか、下手すりゃしぬぞ」

「しに、そうになる攻撃をする馬鹿が居るから、だ!」
 
 急降下する鷲の様な一撃に鉄矢は肘を合わせ、互いの内臓に同等の衝撃を与えていたのだ。


 げふおぅ

 
 二人の声が重なり一時的に肉体の限界を超えて、戦闘不能状況に陥った。

 カヒッ、カヒッと断末魔染みた呼気を二度繰り返し、二人はノロノロと立ち上がる。

「く、さ、流石に、げんかい、かもな」

 内臓が軋む、骨が軋る、肉が砕ける。諤々と笑う膝、震える肘、呼気は荒い。

 全身に及ぶダメージは、もう何がどうなっているのか自分でも分からない程だ。

「へっ、わ、わた、しは、まだまだいけ、うげぇ、るぜ」

「つ、強がりをぉ~」 

「こ、此処で、強がれるかが、わたしと、おげぇ、の差だ………ぜ」

 ………はっ、いや確かに、と鉄矢は思った。

 正直、その台詞だけで、負けを認めても良い位に………。

「ま、もういいや」

「な、にがだ?」

「限界って言ったのは本当だ。マジで、そろそろ身体が動かなくなるし、これ以上やると今後の行動にも支障が出るからな」

「で?」

「だから………コイツで、終わりにする」

 言って、鉄矢は最後の攻撃の構えを取った。

「ッ??」

 掌を突き出し、まるで掌底を行った『後』の様な不可思議な構え。

 それを、ランの胸に密着させる。

「へっ、どう言うつもり、だ?」

「さっき肘を打ち込むと同時に、乳様突起を殴打した。暫らく、麻痺して動けない筈だ」

 と言うか、正確に言うならば立ち上がることもムズイ筈なんですけど。

 何で立てるの?

「っ?! さっき、から、ろれつが、まわらないとおもったら、変な魔法でも使ったか………」

 いや、正確に言えば全身が痺れて、腕を上げる事もできない。

 そして、凄まじい嘔吐感、アレだけ喰って、アレだけの戦闘こなして、今まで余り感じなかったものが全身を痺れさせている。

「急所だよ………」

「きゅーしょ?」

「マジ概念の違いが、その一言に集約されてるぜ………」 

 いや、無論似たような概念はあるだろう。

 人体を治療する意味合いにおいても、急所などの概念は有る筈だ。

 しかし、それを戦闘技術として確立するという考えがこちら側には余り無い。

 魔力と言う存在の所為だ。

 魔力の無い者と有る者ととでは、その戦闘力に格段の開きがある。おそらく、格闘技を十年修行した者でも、最も簡単な魔力弾を使う者にすら勝てない。

 そもそも、強化魔法を駆使された時点で、生身の人間がダメージを与える事は非常に困難だ。そして、魔力による攻撃は、その破壊力ゆえにバリアを抜けば、細かな打ち所に大きな頓着が無い。(無論、顎を揺らす、内臓にダメージを与える等の基礎的なものはあるが………)

 だから、発展しなかった、発達しなかった。

 あくまでも、魔力を纏った者が、同じく魔力を纏った者と闘うための技術。

 それが、魔道士や騎士が用いる格闘戦技。

 だが、俺の技は違う。

 人が人を倒すために、数百年、数千年と研磨されてきた技術だ。

 無論、そのままでは魔道士は斃せない。

 だけど、俺は信じている。

 俺が学んだ技術は、俺が受け継いだものが、お前達全てを凌駕している事を確信している。

 今までは、それを活かせる余地が無かっただけ、俺が未熟だっただけ、だがそれも………漸く。

「ま、あ、これで、最後って、のは、わかったけど。こりゃ、なんだ? おっぱい、触ってどうするんだ?」

「直にさわってねーですよ」

 そう、直には触れてない。

 あくまでもバリアジャケットの不可視のバリアがランの全身を保護している。

「じゃあ、いったい?」

「言っただろ? 最後の、攻撃だ」

「だから、殴るでもなく、蹴るでもなく、さわってるだけでどうす………」

 其処でランは言葉を発することをやめた。

 それは無粋であり、不要なモノだったからだ。

 目が語っていた。

 その眼光が、全てを………。

「は、OK。確か、きょうか魔法以外のまほうは、つか、わない。るーるだったな。変更、しても、いいぞ?」

「言っとくが、俺は、生身じゃ強化魔法以外にまともに使える攻撃魔法は無い」

「そっか、なら、殴り方の、もんだいか」

「ああ、多分、俺の考えが正しければ、今まで味わった事のない『衝撃』が味わえるぞ」

「完全、オリじなる、って訳か………」

 引きつりながらも、ニイッと楽しそうな笑みを浮かべるラン。

「対魔道士用の、な」

 凄まじい眼光、此処に来て怖気を抱くほどの………。

「は………やべぇ、殺されるかも」

 本能的な恐怖から、接触部に急激な魔力集中。

 約定通り、防御魔法は使わない、あくまでも魔力を集中させての防御力の向上。

 しかし、恐怖と怖気は消えない。

「なんて?」

「あ?」

「なん、て名前だ? それ………」

「………」

 パチクリと、稲光の様な眼光が途端に、十代にも満たない少年の純粋無垢な輝きを取り戻した。

 その余りの代わり様に、思わず笑みが毀れようとして咽こむ。

「けほっ。おま、えが、作ったんだ、ろ? なまえ、つけ、ないのか?」

「………」

 その発想は無かった。

 と言うか魔法は兎も角、技に名前って、微妙に恥ずかしい発想である。

「なんだかな………」

 だが、ある。

 名前と言われて思いついた。

 相応しいものが一つある。

 本来、存在しない用語。

 日本国内独自の定義付けをされてきた名前。

 それを、更に俺独自の特色付けを成された相応しい名前が………。

「いくぞ………」

「………きなっ」

 言いながら、胸を圧迫する圧力を感じる。

 集中させ、半物質化した魔力が、鉄矢の手との接触面からバチバチ火花を散らしていた。

 それ程の防御。

 あくまで、強化魔法しか使用しないと言う此のルールで手を接触させた状態から何をしようというのか。

「コイツの名前は………」

 胸が、圧迫される。

 バリアジャケットの外面に触れて居るだけである筈の掌から、何故こんな圧迫感を受ける。

 いや、それよりも、なんだ、此の空気を揺らす陽炎のような何かは?

 鉄矢の右腕から、否全身から魔力ではない不可視の何かが立ち昇っている。


「………っ」 


 腕と脚の痺れは感覚的に後数秒で解ける筈だ。

 だがその前に此の攻撃は受けざるを得ない。

 ………防御は、している。

 コイツの正に鉄拳としか言いようの無い凶器を受けても十二分に弾けるだけの魔力を集中させている。

 しかし、来る。

 攻撃は、来る。

 しかもコレまで味わった事の無い異質な何かが!

 そして、鉄矢の薄い唇からその言葉が引き出された。

「浸透勁」 

 囁くような言葉。

 凄まじい轟音。

 ありえない衝撃。

 空が見えた。

 ああ、そう言えば何時の間に道場が無くなったのだろうかと思った。

 
*****************************

「だよね!! だよね!! いっつも、いぃっつも自分勝手に自分だけで決めちゃって、ぜぇぇったいに何やるか、教えてくれないし!」

「うんうん! しかも一度決めたら、梃でも動かないんだよ!! こっちが何言っても全然聞く耳もたないし!!」

 とくとくとくとく

 ごくごくごくごく

 ぷはぁ

「此の紅茶おいしぃ!」

「うん、なのはの家の奴だから!!」

「あわ、自画自賛しちゃった!!」

「大丈夫、ほんとに美味しいから!!」

 ごくごくごくごく

「あれ? もうない?」

「うん? 結構大き目のに入れてきたんだけど?」

 無くなっちゃ仕方が無い。

 カランと各々のカップをコンクリートに、投げ捨てるように置いた。

 微妙な口寂しさを覚える。

 だが、その晩は良い月が出ていた。

 二人とも月は満月が好きだったが、今日の月は欠けていても澄んだ夜空に蒼白く輝く様が美しく、つい目を奪われた。

「それにしても」

 ニコリと影の無い笑みを浮かべ、ながらなのはが言った。

「出るねぇ、鉄ちゃんの悪口」

「うん、本当に一杯あるよね」

 言いたい事も、話して欲しい事も、彼には多すぎる。

「あー、でも少しスッとしちゃった。陰口ですっきりするって、鉄ちゃんに悪いかもしれないけど」

「あっ、そっか陰口だよねコレ、いけないことだ」 

 なのはの悩みを聞いていた筈が何時の間にか、鉄矢への陰口になってしまってた。

 と言うか何をしてるんだろう………軽く泣きが入ってしまう。

 そこで、なのはが口を開いた。

「鉄っちゃん、一体何してるんだろうね」

 一瞬………言葉に詰まる。

「………そうだね、きっと、闇の書の主を助ける為に頑張ってると思う」

 真実であろうと思う。

 だが、目的はそれだけに留まらない。

「後は………」

「敵討ち、だよね………」

 言いよどんだフェイトの言葉から被せる。

 その言葉を、自分自身の口から言いたかったかのように…。

「私は、家族が居なくなるって痛みを知らない」

「そうだね。でもそれは、とっても素敵な事だよ?」

「ありがとう。でも、だから私は鉄ちゃんの怒りと緋焔ちゃんの悲しみがきちんと理解出来ていないのかもしれない」

 先程よりも、更にサバサバとした口調だった。

 鉄矢への不満を吐き出す事で、少し落ち着いたのかもしれない。

(………いや、そうじゃない………かな)

「そう、なのかも知れないね」

 心で思うことと全く逆の言葉が紡がれた。なのはの様子に若干の疑問を持ちながら、少なくともなのはの意識ではそうなのだろうと思ったのだ。

 でもそれは正確ではない。

 フェイトにだって分からないのだ。

 鉄矢が、両親を失なって何を思い、何を背負い、どんな痛みを感じているかなんて分からない。

 そしてそれは、鉄矢も同じ。鉄矢にも自分の痛みは分からない筈だ。一度、その痛みが鉄矢の所為であるかのように勘違いをした事があるように………。

 鉄矢も他人が、家族を失う事で、どんな痛みを感じ如何思うか等知りはしない。

 ただ、一つの確信があるだけ。

 痛みを背負う。

 家族を奪われた者にはソレが付き纏う。ただそれだけしか分からないのだ。

「………フェイトちゃん」

「?」

 少しだけ口調が変わる。

 じっと、真っ直ぐに見詰める瞳だけが変わらない。

「………フェイトちゃんは?」

「え?」

 その口調は、疑問を呈すから、問いただす厳しいものに変わりつつある事に気が付いた。

「フェイトちゃんは、如何思う? 如何感じてる? 今回の事を………」

 瞳が、震えていた。

 なのはが、今の言葉を発するのにどのような葛藤があったかは分からない。

 少し想像を働かせるならば、鉄矢と同じように、家族を失った過去のある自分に、その心境を聞きたいと言う事なのだろうか………。

 自分には分からない、その気持ちを知りたいと思って。

 そして、その言葉が自分を傷つけると思っていたのではないだろうかとフェイトは予測する。

 でも、そんな事で自分の気持ちは少しも傷つかない。

 寧ろ、聴いてもらえて良かったと言う安堵すらあった。

「………なのはと同じだよ。私も、鉄矢に誰かを殺して欲しいなんて思わない。止めて欲しいと思う」

 だが、その言葉になのはは首を振る。

 ソレも弱々しくでは無く、激しく。

 激情を代弁するかのように、二房の髪が大きく揺れる。

「………違うの」

「違うって?」

「わたし、私は………!」

 一度、大きく息を吸うなのは。

 そして溢れ出す気持ちそのままに、言葉はまろび出た。

「私はっ! 止めたいの! 止めさせたいの、鉄ちゃんに誰かを殺すなんて絶対にやって欲しくない!!」

「………なのは…」

「ほ、本当は、鉄ちゃんが間違ってるとか、正しいとか、自分が正しいとか、そう言うのじゃなくて、ただ嫌なの! 絶対に嫌なの!! 鉄ちゃんがっ、天道鉄矢が誰かを殺すっ! ソレが嫌でいやで仕方が無いの!!」

 吐き出された激情に、言葉が出ない。

 止めて欲しい。ではなく、止めさせたい。

 それが、きっと自分となのはの違いなのだろうとフェイトは思った。

 自分は、なのはの吐き出した様な激情ほど、鉄矢が誰かを殺してしまう事に嫌悪感を感じていなかったと言う事なのだろうか?

 それは、冷たい、酷い人間の考え方。

 お腹が捩れる様な吐き気が、一瞬フェイトを襲う。

 綺麗じゃない。

 そう思った。

 自分は、高町なのは程に綺麗な人間では無いと、突きつけられたような気分だった。

 だけど………でも………確かに、なのはの言う通り、自分にはなのはの分からない部分で分かる事もある。

 もし、もし仮に、大事な、大事な人を誰かに奪われたら?

 その、奪った人が楽しげに微笑んでいたら?

 それは、悲しい。それは、悔しい。

 何故? 如何して笑うの?

 何が楽しいの? 何が面白いの? 何が、何が、一体何が、何処に幸福があるの………と。

 そう、思わない事も無い。訳も無い。

 無論、あくまでも空想であるのだが・・・。

 それでも、その苦痛は、一体どれ程のものになるのか?

 無論、空想に過ぎない。

「………」

「………自分勝手な言い分だって事は、分かってる。私は、本当は、鉄ちゃんの事も緋焔ちゃんの事も、何にも考えてないっ! ただ、自分が嫌だって思うことを押し通そうとしてるだけ!」

 だが、それを如何捉えるかは、本人達の意識次第だ。

 片や、一人の少年がその行動で罪を犯してしまうことに怯えていた。

 片や、一人の少年がその行動で傷ついてしまうことを憂慮していた。

 二人にはただ、その心を心配しているか、身体を心配しているか、その違いしかない。

 
 そして、それを教えてくれる事も、それを悟るような事も今は出来なかった。

 フェイトは、一先ず自分の心に受けた衝撃を飲み込む。自分が今、漸く高町なのはの深い悩みの起源に達している事を悟って。

「………フェイトちゃん、私如何すれば良いのかな? 私は、鉄ちゃんの事を止めたい。でも、私には、鉄ちゃんを止められるような言葉も、正しさも無いっ」

 胸に手を当てて、縋る様な弱さを見せるなのは。

(………そっか)
 
 だけど、なのはの言葉を聴いて、思った事は無理だと言う言葉だった。

 なぜなら、鉄矢は決して間違った行動を取っている訳ではない。

 無論、それが正しいとは言えない。

 なのはも言うように誰かを殺す事はいけない事だ。

 でも、それでも鉄矢は間違っては居ない。少なくとも鉄矢は自分に間違いがあるとは思っていないと思う。

 だから無理だと思う。

「無理だよ。鉄矢は、言葉じゃ止まらない。言葉で止まるなら、一週間前に止まってると思う」

「………っ…」

 目を伏せるなのは。

 きっとその結論は、ずっと、何度も導き出されていた答えなのだと思う。

 なのはがずっと、考えていた事がおぼろげながら見えてきた。
 
 きっとなのはは、言葉を捜してきたのだ。

 鉄矢を止められる様な言葉を…。

 でも、幾ら考えても、そんな言葉は浮かばない。どんな言葉でも止まらないと、分かっていた筈なのだ。

 それでも諦めずに、考え続けた結果がこのように疲労困憊した状況なのだろうと思った。

 フェイトは思う。

 なのはの友人として、鉄矢の友人として、自分が言うべき言葉を。

「なのは………」

 伏せられた目を自分に向けさせる意味も込めて、フェイトはなのはの手を取った。

 寒空に冷え切った手に温もりを燈させる様に。

「………良いんじゃないかな?」

「え?」

 瞬き。

 苦痛を堪える瞳に一瞬だけキョトンとした様な驚きが浮かんだ。

 それに微笑みフェイトは言葉を重ねる。

「良いんじゃないかな」

「………?」

 分からないかな。

 此の言葉だけじゃ、なのはに自分が何を言いたいかは伝わらないだろうと思う。

 でも、如何言うべきか。

 どのような言葉が、一番良いのか………。

 判断は付かない。

 こう言った場合の経験が不足しているフェイトでは、判断材料が無かった。

 だから、思い切って最も極端な例を話してみることにした。

「今なのはが言った事、鉄矢に言えば良いんじゃないかな?」

「え?」

「だから、鉄矢に殺すのは嫌だって、言えば良いんじゃないかなって。私は、そう思うよ」

「………それこそ、言ったよ。もう、一週間前に」

 いや、そうじゃない。

 あの時、なのはが言った言葉は『殺す事がいけない』であり『止めたい』では無い。

「なのはが言ったのは、殺す事がいけないって事だよね?」

「それは、そうだけど。でも、同じ事だよ」

「全然違うよ。いけない事って訴えかける事と、なのはが嫌だって言う事は全然違うと思うな」

「でも、だって、それは………」

 そう、訴えかける事と嫌だと言う事は違う。

 嫌だと言うその意味は………。

「だから、良いんじゃないかな」

「良くは、無いよ。だって………」

「うん、だから」

 だから

「我侭を言っても良いんじゃないかな?」

「?!」

 擦れ違っている。

 なのはは、自分が嫌だと思うことと間違っていると思う心とを擦れ違えていた。

「なのはが思っている事、正しい事だとは思うけど、でもやっぱりその大元はなのはの我侭にあると思う」

「そう、だよ。我侭、私には我侭しかない。それが『核』なんだ。あの時から、鉄ちゃんに止めさせようと思ったその大元は、私が嫌だから、だから止めようと思ったの」

「だったらそれを、言わないと。それを言わなくちゃ、鉄矢は止まってくれない」

「でも、正しい事じゃない。間違ってる事だと思うことを言っても………我侭を言ったって、困らせる、だけだよ」

「………そうだね」

 確かに、そんな事を言われても困るだけだろう。

 でも、こうして見ていて分かる。

 なのははなのはで正しい事をしようとしているし、鉄矢は鉄矢で正しい事をしようとしている。

 誰かを殺す事は、間違いなく間違っている。

 だが、親を殺された子の仇を討ちたいという気持ちが間違いだとは言えない。

 誰にもだ。決して、誰にも。

 だから『どちらが正しい、どちらの方が正しい』では止まらない。

「だから、迷惑を掛けても良いんじゃないかな?」

「え?」

 だから、全ての前提条件を覆すしか、天道鉄矢を止める手段は無い様に思う。

 正論ではいけない。

 そう、高町なのはの持つ願望こそが、ひょっとしたら鉄矢を止める唯一の手段………なのかもしれない。

 正直自信は無い。

 第一、鉄矢にとっては甚だ迷惑な話だ。

 自分は今なのはに、鉄矢に迷惑を掛けろと言っているのだから。

 此の事は、後で一杯謝ろう。でも今は…。

「だって、友達だもん。我侭ぐらい言うよ………ね?」

 そういうフェイトこそ、我侭を言った事は無い。

 だけど、今はそれこそが必要なのだと思った。

「そんな、そんな事………出来ないよ」

「どうして?」

「だって、迷惑だよ」

「だよね」

「困らせちゃう」

「うん」

「それなのにどうして?」

「友達だからだよ………」

 それが、それこそが魔法であるかのように夢見るような口調で語る。

「ねぇ、なのは。もし、私にアレをしてコレをしてって言われたら、如何思う?」

「如何って、内容にもよると思うけど、叶えて上げたいって思う。でも………」

「でも?」

「これは、本当に私の我侭で………」

「我侭だけど、鉄矢の事を全然、少しも考えてない我侭?」

「それは………」

 そう、確かに鉄矢を止める事は、止めたいと思う事はなのはの我侭になるのだろう。

 でも、それは全てがなのはの我侭ではない。

 鉄矢への思いも込められた我侭。だから

「だから、良いんじゃないかな?」

「………」

 なのはは少し、惚けた様な表情だった。

 それもそうだろう。

 こんなのは滅茶苦茶な理屈だ。

 友達だからと言って、何を言っても許される訳は無いだろうと思う。

 でも今回は、今回の事は、伝えても良い事だと思うのだ。

「で、でも………」

「でも?」

「でも、それで、迷惑だって思われて、私が、自分の我侭を伝えても、止まってくれなかったら………」

 その可能性も勿論ある。

 と言うよりも、そちらの可能性の方が大きいだろう。

 だからその場合は………。

(ごめんね。鉄矢)

 自分は一杯、一杯鉄矢に謝らなければいけない。

 こんな事を言うのだから。

「うん。その時は、伝えよう。なのはの本気を」

「ほん、き?」

「うん。何時か、私達がしたみたいに、なのはの本気を、魔法で伝えてみよう」
 
 その意味が、浸透していくに従い。なのはの目が大きく見開かれる。

 だからこそ、フェイトは鉄矢に謝らなければならない。こんな方法を取らせようとしている事を。

 こんなことしか思いつかない愚かな自分を。






 その夜、様々な物事は一つの節目を得た。

 悩む少女達は一つの答えに向けて歩みだし

 弱き少年は遂に限界を超えた。


 だが、此処に誤算が生じている。

 高町なのはもフェイト・テスタロッサも、天道鉄矢が限界を超えた事を知らない。

 その意味を知らない。

 有り余る才能ゆえ、自分の限界が見えていない少女達は、才能が無い故に限界を踏み超える事を知らない。

 そして、あくまでも通常の(少々やりすぎの感があるとは言え)訓練のみを行ってきた者は、狂気の位階に達した鍛錬を超えた者の力を知らない。

 だが、その事を知るのはもう少し後の事になる。

 少年は、待ち受ける児戯でさえある戦いを知らず、一先ず鍛錬を終え敵城へと足を踏み入れようとしていた。



*****************************


 ガギャン

「?」

 始めに響いた音は、無骨な金属の擦れ合う音だった。


 ガギャン………ガギャン


 それが、足音だと八神はやてには何故かすぐに察する事が出来た。

 音と同時に床から微かに響く振動がそれと教えてくれたのである。

 

 ガギャン……ガギャン…………ガギャン


 それは、不安定なリズムで、何処か幽霊のような不透明さを持ったリズムだった。

 無論、はやてがその異音に気付く二呼吸前に、彼女の騎士達は空間の歪みを感知し、一体誰が此の家に侵入してきたのかを察している。

 いま、彼女の傍に騎士達は居ない。

 はやては、既に深夜00:00を廻ろうかと言う時間に起きている年齢ではないが、幼少の頃から本好きであり、読み耽ってこの時間まで起きていてしまう事は珍しくなかった。

 しかし、今日はやてが起きていた理由は別に在る。

 目下の所、最大の目的である火竜・緋焔が目を覚ましていたからだ。

 しかし、車椅子に乗るはやての膝の上でコロコロと甘えていた緋焔は、同時に聞きつけたその足音に『ぎゅぎゃっ』と嬉しげな声を上げてふわりと舞い上がってしまっていた。


 ガチャ


「おぷ」

「ぎゃーぎゅぎゅ!」

 音を立てて、扉を開いた足音の主、鉄矢の顔面にベチャリと張り付き、ガブリと逃避に幼い牙を突き立てる。

 サクッ

 ビギィィ

「………うぎぃ?! うぐ………兎も角、元気そうで、何より」

「ぎゅぎゅ!」

 頭皮の痛みを取り合えず無視し、敵城に置いて来た緋焔が割と元気そうな事に安堵の吐息を付く。

「鉄矢君!」

 顔面にへばり付いた緋焔の隙間から、車椅子に乗ったはやてが近づいてくる様子が分かる。

「よう、はやて未だ元気そう………だよな? 遅くなって無いか? これでも、急いだつもりだったんだけど………」

「………あ、うん。元気、やけど。ど、どうしたん? いった、わきゃあーー?!」

 心配げに話しかけながら、ベリッと鉄矢が顔面に張り付いた緋焔を引き剥がした瞬間、ひゃ-っと悲鳴を上げるはやて。

 それもその筈。

 鉄矢の顔面は鉄拳所か鉄バットのような鈍器で散々に打ちのめされたような感じに腫れあがり、もう円という形状ではない。

 例えるならば、逆さまにしたバケツを被った所で連続殴打されて、バケツが抜けなくなったかのような面構えだった。

 あえて言うならば出来の悪い怪奇映画に登場する怪人。

 それが間近で『よう』と片手を上げるのだ。

 軽くスプラッターであった。

「おおお、およ、およよよ?」

「………人語を取り戻してください」

 あわわわわと、自分と現実を見失うはやてに溜息混じりに言う。

 まあ、アレの後、徐々に腫れて来て超痛い状態だったので、何となく自分の顔が変形した位は分かる。
 
「え、え、えーっとぉ。その顔どおしたん?!」

「ん、まあ、ちょっと。それより、悪いけど、氷貰えるか?」

「あ、うん。今もって来る!」

 キュルキュルと音を立てて離れていくはやてを尻目に『どっこいしょっ』と若者らしさに欠けた声を発して座り心地の良いソファーに倒れこんだ。
 
「あ~~。死にそ~、身体マジボロボロ」

『負担を抑えたいならジャケット位、解除したら如何ですか?』

「む」

 両手を見れば、確かに構築されたままのバリアジャケット。

 しかし

「あの、変形しすぎて、寧ろ血止めになってるんですけど?」

『出血は止まってますから外しても大丈夫です』

「ああ、そ」

 シュンと音も無く消えるバリアジャケット

 後に残るのは、随分と古めかしい感じのする古い民族衣装と教えられた服だった。

 無論、模擬戦で使用してたような胴着ではなく、ボロボロになった胴着の代わりに貰った装束である。何故コレが、バリアジャケットの解除と同時に現れたかと言うとしょんべん塗れのうんこ塗れになってしまった俺が元々着ていた服の代わりに貰ったものだからだ。

 ノースリーブで肘まで届く皮製の手袋、腰と首には揃いのチョーカーとベルト、コレに篭手と具足を付けるだけで随分と戦闘体勢になりそうな代物である。(初めから登録していれば、バリアジャケットを解除した後に来ている服は別段元々来ていた服にする必要はない)

「うぐ………」

 バリアジャケットを解除しただけで、気が、遠くなる。

『無理をせずに横になった方が良いのでは?』

 カイロスの進言を聞くまでも無く、身体は既に横たわっていた。

「あ、う」

 びぎっ。

 肉と骨が、軋む。

 喉から迸ろうとする悲鳴を呻きのみで堪えた。

「て、鉄矢君。氷、持ってきたけど」

「あ、ああ、あづっ?!」

 ボトッ

 二重の袋に詰め込まれた氷を受け取ろうとしたが、指が引き攣り、とてもではないが………持てない。

 なんてこったい。

 全身重度の筋肉痛の様な有様だ。

「だ、大丈夫? あっと、とりあえず顔冷やすよ?」

 ボコボコになった顔面に優しく氷が当てられる。

 だ、その優しい感触に反してじくっ、と痛みが突き刺さる。

「ってぇ」

「ご、ごめんっ」

「っっいや、大丈夫だ」

 ビキビキと軋む腕、首、肩その他諸々の痛みを一時無視して氷をもぎ取り、顔面に一気に叩き付ける様に当てた。

「~~~~~っ」

 当然の事ながら激痛。

 氷ではなく融解した鉄とか一滴で人間を殺すような猛毒を顔面に浴びせたかのようだ。

「鉄矢君っ、無茶はあかんよ!」

「だい、じょうぶだ」

 高い声音が、震えるように労わる。

 同時に胸の上に載っていた緋焔がトコトコと変形した顔面に近づいてきた。

 嫌な予感しまくりである。

「ぎゅぎゅう、ベロン」

「滲みる?!」

 腫れあがった顔面は、最早皮を剥かれた様な状態だ。

 其処に肉食獣の、卸金じみた舌先。完全無欠な凶器である。

「ぎゃお?!」

 ビグッと身体が跳ねる事を抑え切れず、驚いた緋焔はふわっと軽く舞い上がり、はやての胸に逃げ込んだ。

 こ、コノヤロウ。しかし、悪気が無いことも分かるので叫ぶのは止めて置く。

「………しかし、緋焔、随分慣れたみたいだな」

「そう、やね。少しは、心を開いてくれたんやろか?」

 弱々しく微笑みながら抱き止める姿は、自然であり特に緋焔に不安そうな様子は無い。

 しかし余り自信が無いのか、口調も吐かれた言葉も疑問符に溢れている。

「………ま、はやてが如何思うかは勝手だけど、結構仲良くなってきたように見えるけど?」

「…そうなん? 鉄矢君がそう思うんなら………。うん、良かった」

 そこで、漸く少しだけ微笑んだ。

 それを嬉しく思いながらも、しかし笑う事は出来ない。

 此の家に入った瞬間から、鉄矢は痛みに耐えながら一瞬たりとも気を抜いていないのだ。

 全身ガタガタだが、この敵城に侵入した瞬間から探査魔法に捕捉されている事が分かっていた。

「………んで? あいつ等は、如何して入ってこないんだ?」

 だから、その言葉を口にした。

 口調には敵意が溢れている。

 ビクッとはやてが思わず震えるほどに………。

「あ、あの子達は、もう寝てるとおもうんやけど?」

「いや、起きてる。俺を、見張ってる。どうした! とっとと出て来いよ! 敵が来てるぞ!!」

 叩き付けた言葉は怒りの具現である。

 敵である。自分は、奴等の敵である。

 敵なんだ。

 そう、思う。

 ギチリとした、鉄槍の様な眼差し。

 向ける先は鉄矢が、入ってきた扉に他ならない。

 感じる。

 全身の毛穴が開くような、感覚。

 刺すような、敵意が、ある。

 ギィッ

 ゆっくりと、扉が開く。

 赤い髪、薄い金髪、後犬。

 鉄矢は侮蔑の笑みを浮かべる。

 ガチリと、闘えもしない状況でカイロスを握り締める。

 やるならばヤル。

 いつ、如何なる状況でそう有ってもおかしくは無い。

「ぎゅあ!!! ぎゃうううう」

 そして、鉄矢に触発されたかのように緋焔が咆えた。

 かふぅ、とその小さな乱喰い歯の間から薄い炎が見える。

「ひ、緋焔ちゃん」

「ガ、AWRRRRRrrrr!!」

 先程までの、少し安心したような様子はまるで無い。

 狂い立つ様な怒り。

 怒りの表情

 怒りの声

 憤怒

 緋焔の全てが敵意を示す。

 バッっとはやての腕を振り切り、鉄矢の上に着地すると更に唸り声を上げていく。

 鉄矢はニヤッと嫌味を込めて口の端を吊り上げた。

「随分嫌われたなお前ら、剣の騎士の仲間だとでも思われたか?」

「………チッ」

 赤い髪の幼い幼女の姿をした人型。

 人間ではない。決して人間ではない。

 鉄矢は、念じながら敵意を込める。

 それに、ヴィータは短く舌打ちだけで応じて、視線を逸らした。

「は、難航しそうだなはやて。正直、こっちはお前が随分緋焔と仲良くなってるだけでも驚きだけどな」

「む、難しいのは分かってる。でも諦めてへんよ? 私は、これっぽっちも諦めてなんかいない!」

 胸の内で、嘆息。

「そいつは………まあ、良かった。諦められちゃ、俺も如何したらいいか分かんねーし」

 本当は、言いたい事は、もっとある。

 止めろ。諦めろと、言いたい気持ちも。

 しかし、それを言うべきではないと分かるぐらいには鉄矢も空気が読めた。

『まあ、無駄な努力でしょうがね』

 しかし、カイロスは読まなかった。寧ろ、読んで尚言った。言いやがった。

「………っ?!」

 そしてウルッと瞳を潤ませてしまうはやて。

「いや、泣くなよ?! てゆーか泣かせるなよ?!」

 とは言うものの、結局の所はやての家族をぶっ殺そうとしてる張本人は完全に天道鉄矢に相違ないのだが。

 実際、ぐるるると唸る緋焔を押さえ、表面上はヴォルケン-1を無視しながら、深層部分では一挙手一投足に気を配っている。

 ここで、突如大魔法を打ち込まれたとしても、離脱できる程度に。

「………そいつに嫌われたのは分かってる」

 涙を堪えるはやてのみに目線。

 奴等とは言葉を交わすことも、視線を合わせることも害悪。睨み付ける以外に向ける視線は無い。

 第一、聞きたい事の確認は済んでいる。

 一方的に言い募り、後は決着のときを迎えるだけ。

 でなければ………。

「でもあたし達はアンタが、闇の書を完成させてくれるなら如何なっても文句は無い」

「馬鹿、当然だ」

 吐き捨てる。

 言葉を発するな。

 不快だ。

 奴等が息を吸う事も、物を食うことも、こうやって話すことも。

 可能ならば、耳を塞ぎたいが、そうやって動かすだけでもキツイ。

「それよりも、はやてちゃんの………闇の書のページはどれ位揃ったの? 知ってるでしょうけど、そんなに時間が残ってる訳じゃないから」

 薄い(存在感が)金髪が何か言ってるが、無視だ無視。

「あの、鉄矢君?」

「なんだ?」

「みんなが、鉄矢くんに話があるみたいなんやけど………」

「あ、っそ」

 目を、閉じる。

 うざったい奴等だ。

 本当に、何てうざったい奴等だ。


「おいっ、これは主を護るために必要な」

「っ、うるせえな! 集まって無かったら何だって言うんだ?! あぁ゛? 俺を殺して、また自分達で闇の書のページでも稼ぐってか?! 未だ足りないってか?! 後どれだけ犠牲者を増やせば気が済むんだよ!!」

 顔を向けず、天井に向かって咆える。

 こいつ等は本当に何がしたいのか理解できない。

 理解したくもない。

 何も知りたくない。
 

 そして顔をちょっと横に向けると、はやてが泣いていた。

「えぇぇぇえぇ?!」

「あ、う、ぅぐ、ゴメ、な、泣くつもりは、無かったんやけど」

 はらはらと、透明な雫をこぼすはやてに、あわわわと慌てる鉄矢。

 ど、どうする?!

 如何する俺!!

『「殴る」「蹴る」「一喝」「殺す」からライ●カードを選択しては?』

「最後のは何なんだよ?!」

『正直、私的な感想では此の娘が居るから話がややこしくなっているので、もういっそのこと』

「いっそのこと何なんだよ?! お前もう黙れ!」

『ですから、いっそのこと』

「だから、黙れって?!」

『Yes. My Lord』

 物騒な事を言うカイロスを黙らせると、辺りはシンと静まり返った。

 微かに、しゃっくりを伴う声が残るだけだ。

「はぁ~~」

 溜息しか、出ない。

 今のは、俺が悪かったかもしれない。

 ヴォルケンリッターに関しては、何も考えたくないし考える必要性も感じないが、今は『未だ』はやてにとっては、家族なのだ。そう言う事になっているのだろう。

 言うなれば、親父やお袋に対してああいう口を効かれたということと同じだ。


「………」→想像中


 良し殺そう。

 瞬時に、そういう判断が巻き起こるほどの、怒りを感じる。

 歯を、かみ締めるほどに、悔しい。


(ま、親父に限って身内を救う為とは言え、緋焔みたいな奴を出す筈が無い………よなぁ、親父)


 とは言え、そんな信頼を置くと同時に『世界を敵に回してでも護るべきものがある」と、そういう人でもある点が少し、怖い………。

 頭を振る。

 何も考えるな。

 今は、はやての命を救い、ヴォルケンリッターを全滅させる。

 それだけを、それだけに集中していれば良い。

 雑念は捨てるんだ。

「来い」

 静まり返った室内に声は驚くほど響いた。

 何を呼んだのかは、分かったのだろう。

 分厚いハードカバー。そして黄金の剣十字。

 今回の事件の発端であり原因であり、終わりにする事が出来るキーアイテム『闇の書』である。

 相変わらず、何故こちらの言う事を聞くのかは不明だが、これのお陰でヴォルケンに襲われないような状況なので良しとしよう。

 適当にパカッと開く。その大きさから、背は普通だが手が大きい鉄矢にも持ちづらい。


 一瞬、視界が漆黒に染まった。


(眩暈か………?)

 ダメージの積み重ねが、やはり洒落にならないレベルで蓄積しているのだろうか………。

 横になって身体を休めていると言うのに………。

「カイロス、ゲート………開いてくれ」

『…………』

「え、何無視してんの?」

『黙れと仰ったではあ~りませんか?』

「良・い・か・ら・や・れ!!」

『ふぅ、仕方が無いロードです。DimensionCore EXTRA CHARGE』

 何が気に入らないのか。

 どうもカイロスは此処に来たとたん不機嫌になったような気がする。

 もっとも、不機嫌になっているのはお互い様なので言う資格は無いのだが。

 思いながら、異空間へと接続、蒼い魔力光が発せられ鉄矢が個人的にアクセス権を持つ異界への扉が開く。
 


 其処からはまさに怒涛の光景だった。



 溢れる。漏れ出す。零れ落ちる。

 パンパンに張り詰めた水袋を破裂させたような

 否、其処に込められる力を考えるならばダムが決壊するようなと言った方が正しい程の夥しい光の奔流が漏れ出す。


 その量に、その数に、俄然とし唖然とし、驚愕する気配が背を向けるこちらにも伝わる。

 そして、無論目の前に居るはやての驚愕は、分かり過ぎる程に………。


 時間にして、一分ほども無かっただろうか。

 本流の正体は言うまでも無く異空間に保存しておいた召喚獣であるドラゴン達のリンカーコアだ。特に問題なく言う事聞いてくれて良かった。

 その濁流の如きリンカーコア群を余さず、残らず、闇の書は一瞬で飲み込んだ。

「はぁー。間近で見るとスゲェ光景」

 一言で言うと気味が悪い。

 まるで底なし沼。

 一歩足を踏み入れれば、二度と元には戻れない魔境。

 醜悪な光景を見たからか、視界が明滅する。


 世界が闇と光に、二分されて行く。

 貧血の途中のような症状。




『鉄矢?』

 明らかに、全身の力が抜けていく鉄矢に微かに不穏なものを感じてカイロスは思わず声を掛けていた。

 全身をチェック。

 深いダメージ、やや高い体温、脳波に若干の乱れ。

「けほっ」

 短い咳

 パラメータ上、模擬戦以外のダメージは、ほぼ無くなっている。

 しかし、何なのだろうか、此の言い知れぬ不安は………。

 此の家に着いた途端、鉄矢の体調に微妙な狂いが生じているように思えてならない。

 しかし、データ上は鉄矢に異常は見られない。

 だから、カイロスはそれ以上語る事無く更に深く調査を行う。



 首を振る。

 眩暈は一瞬の物だった。

「ほらよ」

 闇の書をヴォルケンリッター達の方に投げ捨てる。

 コレで良い筈だ。

 コレでもう、話しかけられる事は無いだろう。

(屑共が)

 思った。

 何故、此れが出来なかった。

 俺よりも強いくせに。

 俺よりも大きな力を持っているくせに。

 何故、俺なんかで出来る事をしなかった。

(くず………が…)

 やろうと思えば出来た筈だ。

 だけどそれをやろうとしなかった。

 考えもしなかった。

 故に屑以外の何者でもない。

 それを証明した。

 奴等の何倍も弱い俺が、奴等のように誰かを傷つける事無く、奴等よりも疾く、闇の書を完成させる。

 それは、つまり奴等が手を抜いていただけの事。

 どうせ、はやてに知らせなかったような奴等だ。

 この、蒐集活動もはやてに気付かれないような時間帯でしかやってなかったに違いない。

 つまり、サボりだ。

 はやてに気付かれないようにやるのならば未だ分かる。

 しかし、その所為で蒐集を遅らせるような事は絶対にあってはならない。

 同様に、はやてを救う為に犠牲者を出す事もだ。

 奴等はそれをやった。

 だから理解できない。

 何一つとして分からない。

 共感できない。

 したくもない。

 だから鉄矢は、勝手にこいつ等ははやての命よりも他の犠牲者達よりも『今の生活』を取ったのだろうと思う事にした。


 それが、苛立たしい。

 コレだけの力を持ちながら、結局は全てを失うような選択を仕掛けた間抜けさに。

 理解出来ない。

 理解したくも無い。


 どうして、誰かを、何かを助けると言う人として当たり前の感情がこいつ等には備わっていないのだろうかと、その思いを最後に鉄矢は気を失うように、眠りに付いた。


 その間際

 愕然とした面持ちの八神はやてを目の端に捉えながら。







*****************************


「信じ、られない」

 投げ捨てられた闇の書を受け取ったシャマルが、すぐさまそのページ数を確認し呟いた。

「シャマル! 何ページだっ? 何処まで行ったんだ?!」

 同じくヴィータも興奮を抑えきれないのか、頬を高揚させている。

「大体600ページよ! あと、たったの66ページ! それで、闇の書は完成する」

 それは信じ難い成果だった。

 鉄矢が、此処を離れ、活動を開始してから僅か六日、より正確を期すならば五日程だ。

 その間に鉄矢が蒐集したページ数はおよそ230ページ。

 単純計算でも日毎40ページ以上蒐集したと言える。恐るべき数だ。

 自分達ヴォルケンリッターでは様々な制約条件があったとは言え、日毎10ページ程度でしかなかったと言うのに………。

「………もう、大丈夫だろう」

 狼の形態を取ったまま、ザフィーラが重々しく、判決を下す裁判官のような口調で言う。

「闇の書の完成は、目前だ。後は、その男に任せても、十分にその役目を果たしてくれるだろう」

「………そうだな。すっげぇ悔しいけど、認めない訳には、いかない」

「ええ。………じゃあ、シグナムにも伝えてくるわね。もう、心配は要らないって」

 そう、心配は要らなかったし、既に認めていた。

 正直、これまで不安はあった。鉄矢が蒐集活動に失敗すれば、もしくはその活動が遅くなればはやての命が危なかったのだ。

 しかし、その疑念も疑惑も、此の『成果』の前には全てが吹き飛ぶ。
 
 そう、もう、問題は無い。

 少なくとも、八神はやてはもう大丈夫だ。

 それだけが、救いだった。

「ま、待ってっ」

 何処か、朗らかに笑う三人にはやてが制止の声を上げる。

 待って、待って欲しい。

 だって、でも、これでは

「大丈夫だよ、はやて。そいつは、多分信じてもいいと思う。きっと、はやてを助けてくれるよ」

「ええ、はやてちゃんの身体が、これ以上酷くなる前に、きっと闇の書を完成させてくれる」

「それどころか、主が真の覚醒を迎えれば、その脚も元に戻るかもしれません」

 みんなが、口々に言う。

 もう大丈夫だ。

 何も心配は要らない…と。

 しかし、違う。そうじゃない。そんな訳が無い。

「待って、後どの位? 後どれ位で、闇の書は完成するん?」

「そこの、鉄矢…君?………なら、あと二日位で出来ると思う。だから、安心してはやてちゃん」

「二日?! あと、たっと二日なの?!」

 今度こそ、絶望の表情ではやては鉄矢とその腕にガッチリと掴まり身動きの取れないまま唸り声を上げる緋焔へと注がれる。

 二日

 あと二日で、全てが終わってしまう?

 そういう、約束だった。

 この、緋焔という子竜は彼女の家族によって親を失っている。そして、ヴォルケンリッターの死を望んでいる。だから、コロス。それが鉄矢の絶対の意思だった。

 それに対して、緋焔に誤り、別の形の償いを示す事が鉄矢とはやての間で交わした約束だった。

 期限は、鉄矢が闇の書を完成させるまでに。


 その期限が、後二日?

 もう一度、緋焔に視線を注ぐ。

 唸り、猛り、口の端から焔と血を滲ませ、憎い、ひたすらに憎いと猛っている。

 およそ一週間、その間にはやて個人は緋焔と多少心を通わす事が出来たと思う。

 これからだった、これから、緋焔に皆を許してもらえるようにしなければいけなかった矢先。

 正にその時、後二日で全てが終わると告げられた。

「………どうしよう」

 如何すれば、良いのだろう。

 二日?

 後二日で、緋焔を説得しなければいけない?

 この、憎しみに凝り固まったような唸り声を上げている子を説得しなければいけない?

「………如何しよう…」

 無理かもしれない、そう思ってしまうのを止められない。

 思ってはいけない。

 考えてはいけない。

 でも………。

「一体、如何すればええんやろか………」






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非公開コメント

No title

更新待っていました。

なのははフェイトと一緒に鉄矢の悪口を言って、自分の理屈を抜きに鉄矢に殺してもらいたくないという気持ちに気づきましたね。

No title

お忙しいなかでの更新、お疲れ様でした。

魔法の存在する次元世界で培われてきた技術とは異なる、地球で育った鉄矢だからこそのオリジナルの技。
徐々にSランク魔道士にも恐怖を抱かせる悪魔めいた強さに近づきつつある鉄矢の今後はどうなるのか?

次回の更新も楽しみに待っています。

No title

鉄矢は父親に叩き込まれた技術が役に立ちましたね。

闇の書の感性までもう時間が無い中ではやては緋焔をどう説得するんでしょう。

No title

仕事が忙しい中、更新をしていただきありがとうございます。
次回更新を気長にまってますので、体調を崩さぬよう気をつけください。

No title

お久しぶりです。まずは、空腹さんが無事で何よりです。それと書き込みが遅くなって申し訳ない。

それでは、27話感想です。
そろそろ、鉄矢無双の気配がただよいはじめた・・・か?なにやらなのはとの対決を匂わせる文書の中に児戯とかでていたんですが。ようやっとか?

ヴォルケンが鉄矢を認めたのにあまり喜べないなぁ。なんだか今になって哀れになってきたな・・・。このSSだとこの先なのはや、フェイトと仲良くなる未来が見えない。鉄矢は言うまでもなく。ほんとどうなるんでしょうか?

なのはとフェイト…鉄矢はいつまでも同じ場所にいないぞ。彼女たちの選択が鉄矢との今後にどう影響するか・・・

では、次話をまったりしながらお待ちしてます。






コメ返し

焔様へ


>更新待っていました。


本当にお待たせしてしまい、申し訳ありませんでした!!


>なのははフェイトと一緒に鉄矢の悪口を言って、自分の理屈を抜きに鉄矢に殺してもらいたくないという気持ちに気づきましたね。


理屈ではない物事を理屈で証明しようとしても失敗する。あと、フェイト的にはなのはが見てられなかったので、鉄矢に何とかして貰おうと言う魂胆が見え隠れ。其処には確かな信頼はあるのだが、鉄矢にしてみれば『マジデ?! 俺がやるの?!』と言う感じ



偽猿


>お忙しいなかでの更新、お疲れ様でした。


遅くなって申し訳ありませんでした。


>魔法の存在する次元世界で培われてきた技術とは異なる、地球で育った鉄矢だからこそのオリジナルの技。
徐々にSランク魔道士にも恐怖を抱かせる悪魔めいた強さに近づきつつある鉄矢の今後はどうなるのか?


寧ろ、魔道士と言う存在を脅かす存在になろうとしつつあるのです。とは言え、そちらの方向に進むと、純粋な地球人として能力は低下してしまうと言う罠が待っているのですが………。


>次回の更新も楽しみに待っています。


次回は現在書いている小ネタもしくは次話のどちらかが出ると思います。何気にどちらもアリサが登場する不思議仕様。でww



竜巻様へ


>鉄矢は父親に叩き込まれた技術が役に立ちましたね。


正確に言うならば、磨き上げた技術から魔道士に対して有効な技術を漸く見出したと言う感じです。
無論、修行が無ければ鉄矢は未だ『発勁』とか出来なかった訳で、やはり修行の成果と言うべきものです。


>闇の書の感性までもう時間が無い中ではやては緋焔をどう説得するんでしょう。


少なくとも、鉄矢はそんな事は不可能だと思ってます。時間的な問題よりも、親を奪われた子供的な立場から鑑みてですが。だから、無神経な言葉を吐いてはやてを追い詰めちゃってる訳です。うrrrriiii
でww



 様へ


>仕事が忙しい中、更新をしていただきありがとうございます。


うい、遅くなってすみませんでした。


>次回更新を気長にまってますので、体調を崩さぬよう気をつけください。


本当に気長に待っていただけると幸いです。



海人民様へ


>お久しぶりです。まずは、空腹さんが無事で何よりです。それと書き込みが遅くなって申し訳ない。


いえいえ。被害は水が止まり電気が止まり、食物の供給が止まった程度なので、死ぬような事ではありませんでしたので~~


>それでは、27話感想です。
そろそろ、鉄矢無双の気配がただよいはじめた・・・か?なにやらなのはとの対決を匂わせる文書の中に児戯とかでていたんですが。ようやっとか?


鉄矢無双………確かに近いかもしれません。ですが、魔道士としてのランクが上がったとかは無いんです。新しい魔法を覚えたとか、魔力が強くなったとかではなく。人間・天道鉄矢自身が、強くなったのです。


>ヴォルケンが鉄矢を認めたのにあまり喜べないなぁ。なんだか今になって哀れになってきたな・・・。このSSだとこの先なのはや、フェイトと仲良くなる未来が見えない。鉄矢は言うまでもなく。ほんとどうなるんでしょうか?


認めたと言うか、諦めたと言うか。それでも、蒐集を行う能力で自分達を上回っている事は確実であるとの認識に立ちました。後は、はやてがどうなるかを見守るのみと言う感じな心境です。
憎まれて当然とは思っていても、真っ直ぐな憎しみを向けられる事には慣れないのがヴォルケンと言う印象です。


>なのはとフェイト…鉄矢はいつまでも同じ場所にいないぞ。彼女たちの選択が鉄矢との今後にどう影響するか・・・


なのはとフェイトは魔道士としては鉄矢と比べて、蟻と象程の戦力差がありますが、生身で喧嘩したら二人とも一秒で静められる程の差があります。ある意味、鉄矢はもう魔道士としての成長は諦めてしまったと言えます。なのはもフェイトもその事を知らない。魔道士・天道鉄矢と人間・天道鉄矢で大きく評価が違ってくる事が未だ分かっていないのですー。


>では、次話をまったりしながらお待ちしてます。


ははっ、もうしばしのご容赦を!!でww
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